日本でのトレイルレースについて

アメリカのトレイルレースから日本のレースの在り方を考える

1:  最近、ランニングシーンでよく耳にする「トレイルレース、トレイルランニング」。これらは別に今に始まったものではなく、自然発生的に生まれたランニングの形で、一般的には「舗装されていない道と走ること」とされている。現状、国土の大半が山に覆われた日本では「山道を走ること」と思われているようだが、基本的には山に限られたものでなく、林道であったり川沿いの小道だったり田圃の畔道であったりするわけである。
 ここ取り上げたいのは、ここ数年爆発的と言っていいほどの人気を集め、大会の数も飛躍的に増えてきた、国内の「トレイルレース」の在り方についてである。このスポーツの先進国アメリカの今年のあるレースを見つめることで、日本のいくつかのレースとの比較から、現状の問題点や理想的なありかたなどについて一考したい。



 まず、なぜ今「トレイルランニング」であり、「トレイルレース」なのか?
多くのランナーが「緑の中きれいな空気の中や自然の風景の中を走りたい」と、思うのはごく当たり前のことだろう。車の都会の中を走るより、気持ちよいにきまってるから。そういった、ランナーの好みに加え、この20年ほど愛好者を増やしてきた「ウルトラマラソン」「トライアスロン」といった耐久スポーツへの憧れや、深田久弥「日本百名山」に始まった登山ブームも後押しをしているといえよう。かつて「朝の孤独走のみが自分を解放してくれる」といった名著にもあるように、だれもいない山の清冽な空気の中を自分の呼吸音と足音だけ響かせて走る感覚は、そういった経験のないランナーにとっても、「きっと素晴らしいだろうな」と思ってしまうだろう。
 ここで考えたいのは、そういった自然の中を走ることの精神的充足感(トレイルランニング)と、自然の中を走るのが大人数(トレイルレース)となれば避けられない自然への影響(破壊)との兼ね合いの問題である。環境への影響を考えることは今や人間に突きつけられた最大の課題である、この問題を避けては通れないだろう。

 今回「トレイルレース(以下、大会と略)」先進国アメリカのモデルとするのは、カリフォルニア州で1974年から開催されてきた「ウェスタン・ステイツ・エンデュランスラン」(WSER)という大会だ。シエラネバダ山脈のトレイル(トレッキング道)を走る100マイル(約161km)の大会で、今年で30年30回の開催(昨年は山火事のため中止)になる。
 大会のコースとなる100マイルのトレイルは、タホ・ナショナルフォレストを中心とした地域にあり、整備されたホーストレイル(馬の道)と森林利用と整備のためのジープロードがほとんど。大半が幅2〜3m以上で、岩がごろごろした山稜の上や、大木の森の中や、山襞を縫うように走る道である。
 スタートは1966年冬季オリンピック会場となったスコーバレー(標高1800m)というスキーリゾート。最高地点エミグラント峠(2625m)を越え、1849年のゴールドラッシュの舞台となったアーバン(360m)までの全長約161kmをほぼ一日で駆け抜けるものである。このトレイルはウェスタンステイツトレイルと呼ばれその成立背景には、西部開拓の歴史やゴールドラッシュなどがある。こういった大会の起源や経緯に自国の歴史を重ね合わせるエモーショナルな部分は、多くのアメリカの大会に見られることで、参加者の精神的な充足感にも一役買っている。



 また、このレースの起源は1955年に始まった「テビスカップ」という100マイルの馬競争で、このウェスタンステイツトレイルを馬で一日で駆け抜けるというものであった。1974年、一人の若い騎手がこの道を自分の脚で駆け抜け、これを期に、1977年、第1回ウェスタンステイツエンデュランスランが開催されるにいたった。初回は16名がスタートし、3名が30時間内に完走した。この年の秋、WSERという委員会が結成され、現在は非営利財団としてトレイルの整備と大会の開催を運営している。
 以後、この大会の参加希望者は増え続け、1981年からは、自然保護の観点から参加者数に400名以内という制限を設け、抽選により出場機会が与えられるようになった。自然保護と自然財産を享有する権利の問題は、20世紀初頭の自然保護問題から現在にいたる大きな問題である。
 この30年以上の歴史の中で確立されてきたレースの形が、アメリカでのトレイルレースの基準となっている。100マイルの場合、30時間を完走とし、24時間以内の完走者を表彰する、参加者は多くとも400人。この延長線上にその他のトレイルレースが開催されている。
 この大会では24時間完走者に贈られる銀のバックルは実際には$250もし、30時間完走者の真鍮のバックルと合わせると、参加費の総額を完走賞の費用が上回っているという。これらのアンバランスを支えてきたのはスポンサーである。以前は大きなスポンサーがあったわけではなく、物品の提供スポンサーが多く、一部の地場企業の資金援助と大会関連商品の売り上げが費用を賄っていた。しかし、愛好者の増加により、トレイルランニングが商品市場としての大きな価値をもつようになってくるとともに、大手スポーツ品メーカーによる協賛が増え、また冠スポンサーを持つ大会となっていった。これはアメリカ国内のほかの大会でも似たような状況になっている。



 大会を支えるスタッフ・ボランティアの総数はここ数年1500人〜1700名。トレイルの通っている森林局のレンジャー。近隣町村のボーイスカウト。病院大学研究機関の医師看護師から周辺地域のランニングクラブ、消防、子供会など一般の市民がほとんど。エイドステーション・メディカルの運営は、長年務めているリーダーやランニングクラブに任されている。
 コース上に設けられるエイドステーションは28個所。うち11個所ではメディカルチェックが行われる。レース前日、心電図、血圧、体重の測定が行われ、体重と血圧を記録したメディカルタグを手首に巻かれる。各ポイントのメディカルチェックで体重の著しい減少や極端な疲労が見られた場合、その場所での休憩が指示される。メディカルチェックを担当する医師は、このレースにかかわって20年以上のベテランが多く、中には東部の研究施設から25年間このレースのために自費で通っているボランティア医師もいる。また、各エイドステーションは基本的に近隣のランニングクラブが担当し、そのクラブには自動的に1名の参加者枠が与えられる。



 この大会の歴史の中で、25年連続して完走し、なおかつその記録のすべてが20時間以内という素晴らしい選手がいた。彼は消防士もやっている地元アーバンの青年で、すべてのランナーやスタッフの尊敬を受けているもやっている。彼は05年の25回連続完走を機に、レースに出場する側から支える側のWSER財団の理事長に転身した。また、この大会の起源となった最初のランナーは35回目の今年も出場しており、第一回からの完走者とともにナンバーカード「0」「00」を与えられている。このような歴史な逸話もランナーのモチベーションをあげ、スタッフの誇りとなり、大会のグレードを高めている。



 コース上のいくつかのエイドステーションはジープで1時間以上も悪路を走らなければならない場所にある。そういう場所でも、メロン・オレンジ・バナナ・西瓜などの果物や、パワーバー、クッキー、パン、氷砂糖、コーラ、エネルギー飲料、水が大量に準備されている。アイスクリームさえあるエイドステーションもある。
 ある年、例年にない大雪となり前半の何箇所かエイドステーションへのアクセスが車で行けない年があった。その時でさえ、ヘリコプターで空輸することで最低のエイドステーションを確保していた。
中間点に、コース途中の唯一の町(村)があるが、その町では正午から深夜まで町の人やランナーの家族友人であふれている。ここはコースをパトロールして回る騎馬ボランティアの休憩地にもなっている。この馬はよく訓練されており夜間カメラのフラッシュを浴びても動じることはない。



コースの後半、約120km地点。最も標高の低い場所は、アメリカンリバーという川を渡渉しなければいけない。標高3000mの山はまだ雪を頂いているから、水は冷たい。多くのランナーがここを渡るのは夜になってからである。車道まで悪路を車で30分はかかる谷底。闇の中にライトに照らされた川面のワイヤーを支えるのは数名のボランティア。夕方4時前から翌朝の5時まで、交代しながらとはいえ、約12時間ものあいだ川の中で渡ってくるランナーとペーサーを支え励まし続け、事故を予防するのは簡単なことではない。また川の両岸にはそれぞれエイドステーションが設けられ、医療と給食でランナーとペーサーを支えている。



「君もランナーかい?」と、川の中でスタッフのボスに聞くと、「俺は膝が悪いから走れないんだ。だからここまで120km以上走ってきた彼らを支えたいのさ。彼らの笑顔が何より嬉しくてね」と答えた。
隣のおじさんも、「そう、俺にはクリスマスみたいなものさ、妻は笑うけどね」と笑顔で言う。ランナーだけではこのレースは成立しない。ボランティアだけでもありえない。両方が長年にわたって支えあってきて、はじめてこのレースが成り立っており、それが彼らのどちらにも誇りとなっていることがわかる。

 コース終盤、のこり12kmの地点は、ハイウェイ49号線を横切ることになる。トップがここを通過するのは夕方7時頃。最終ランナーは翌日午前9時に通過する。その間14時間ものあいだ交通規制をかける必要があり、警官も動員される。車いすのランナーもボランティアに参加している。
警官に「嫌じゃないかい?」と聞くと、「No Way! 年に一度こんな素晴らしいチャレンジを支えられるのは、私にとっては誇りなんだよ」という返事が返ってきた。道路を横切るとオークの大木と緑の草原がひろがるなだらかな谷が目に飛び込む。ここのエリア一帯は2007年にカリフォルニア州が買い上げ公園とした場所で、この州の決定にはこの大会の財団の働きかけによるところが大きかった。



 ゴールドラッシュ記念の町、アーバンの高校のフットボール/トラックにはゴールと本部がおかれ、スタートから閉会式まで40時間以上スタッフが常駐している。周囲が寝静まった深夜でさえ、場内放送でゴールする一人一人のランナーのプロフィールを紹介し続けている。町の人も応援にやってきている。

 

開会式ではほとんどの時間がランナー以外のために費やされる。長年大会を支えてきてくれた人々、ボランティア、協力団体、レンジャー、消防、警察、といった人たちへの感謝と表彰のためである。1時間以上、ランナーもその友人や家族も、表彰される人々に敬意を払い、拍手し、声援を送る。途中退席する人はほとんどいない。すべての関係者がこの大会を愛し、誇りに感じていることが伝わってくる。

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2:  国内の大会としては、富士登山競走・日本山岳耐久レース・丹沢12時間耐久レースなどの首都圏近郊の参加者1,000人超の大きな大会から、今年開催の予定の500人規模の大会、少人数の大会までネット上で把握できるだけでも約30前後の大会が企画開催されている。
 国内の大会のうち、首都圏周辺の大会はどこも参加定員が数時間でいっぱいになるという状態で、日本山岳耐久、北丹沢、といった定員1500人、1900人といった驚くような大会ですら、2時間前後で満員となる状態だという。これら2つの大定員の大会のように、日本の場合は登山道を使用した大会が多く、林道のみで終始する大会は少ないようだ。

 日本の登山道の成り立ちは、古代から近世の信仰の道、近代の軍事測量の道、大衆登山の道など、人が一人歩ければよい道(シングルトラック)が多く、急峻である場合が多く時にはきわめて危険な道もある。また、地質上、風雨にもろい花崗岩や火山灰の土壌であることが多く、気候上も多雨による土壌の流出が避けられない。こういった理由で、日本の登山道は荒廃しやすく、アメリカのように馬が通るために開かれたタフな道(岩が多い、少雨、保全しやすい)とは異なっている。
また、登山道は制度上「道」とは認められておらず、公共事業としての予算が認められないため、なかなか公共団体による整備が行われにくいという問題もある。
 こういった背景を考えると、日本の登山道を使用する大会での定員は、今のような状況でよいのだろうか?といった疑問が浮かんでくる。

 一つには、自然保護の立場。レースともなれば追い越しするために道をはずれて走りシングルトラックがダブルにもトリプルにもなる。一度に何百人もがストックを使用すれば木の根もひどく傷んでしまう。大人数が通過したあとの登山道は惨憺たるありさまだ。特に、雨が降った後のレースは想像するのも悲しい。これらの保全はいったい誰がするのだろう。
 もうひとつ、安全性の問題。私がよく通う徳島県の三嶺(みうね)という秀山がある。剣山系に属し、稜線は森林限界上にあって、クマザサとコメツツジに覆われたなだらかな眺望はほんとうに美しく、熱烈なファンを持っている山だ。一か所、頂上からの下りはとても脆く急でクサリが張ってある。三嶺〜剣を使用した500人規模のトレイルレースが企画中だという。先を急ぐレースでは危険としか言いようがない。自然保護の立場からも、レースコースにはそぐわないと思う。
 いま一つ、ほかの利用者との兼ね合い。 大会は休日に行われることが多い。登山者も休日に出かけることが多く、コース上でバッティングするか、主催者が登山者を止めることとなる。

 以上、考えるてみると大会に使用するのはいわゆる「林道」を中心に企画するのがよいのではないだろうか?日本にはあまり使用されていない林道がたくさんある。自然の空気の中でレースできるなら、そんな環境のほうが良いように思える。もしくは参加者を200〜300人程度に抑えるのが望ましいのではないか。200〜300という数字に根拠があるわけではないが、あのアメリカでも400人ならこれくらいが妥当ではないか、と思うからである。このことはコースの設定を依頼される有識者や著名なランナーの方々に、心からお願いしたいことである。きれいな美しい花畑や草原を走る時は一人か数人でおとなしく走ればいいではないか。

 これからのトレイルレースを考えてゆく上で必要なものを列挙してみた。
1:林道を中心にコースを考える。先ずは安全第一。林道中心なら、救急の対応も速いし、環境にも影響は少ない。
2:登山道を使用する場合、繁忙期を避け整備を行い、占用の周知を徹底する。
3:登山道の保全には莫大な費用と労力がかかることを、参加者も知るべきである。
4:参加者も関係者も誇りのもてる大会にしたい。
5:数年の開催で登山道が荒れて人が来なくなるより、林道で大会を誘致し知名度をあげればレース以外での足を運んでくれる人は増える。

文部省の統計によると2000年の登山者は約450万人。レジャー白書によると2003年度の登山者は約600万人。トレイルランナーは何人いるのだろうか。国立公園・国定公園の環境は国民の財産であり、利用され保護されなければならない。利用する側はその点を一番に考慮すべきであろう。

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